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ベンジャミン・フルフォードさん、咆える! 最新版

ベンジャミン・フルフォードさん、咆える! 最新版

異論各論があろう・・・・
それはさておいて、情報としては面白かろう!
政治家評価は参考に・・・
両人の橋下評価が
意外と高いが、当然、異論があろう・・・


 何事も情報は、インプットそのままで良いことはない。それを咀嚼、判断するのは自身の判断力による。だから、そう言うつもりで視聴頂ければと思う。


 ベンさんも総裁も一枚岩ではないことは、お分かりいただけると思うし、当然、紹介掲載する私自身も全てに納得しない。ただ、両人のサムライ魂には共感している。サムライ魂とは、滅私の心である。


 ただ、面白い話であることは確かだ。


 序でに、私の現在の考えを書いておこう。


 橋下市長に対して、どう観るか? 基本的にその根底の思潮には、理解を示す立場である。しかしながら、船中八策は頂けない。橋下市長の政治動機には疑問がある。


 人は心の奥に何を想っているか、表面からは見えないものであるが、片鱗は見え隠れする。野心的であるか、献身的であるか、あるいは妥協的であるか、信念的であるかは片鱗に現れる。今の段階では、前者であると観ている。


 下半身問題や片言隻句は余り問題にしない。その多くは政争の具にされるテーマであるからだ。


 それを含めて考えるに、日本維新の会は結局のところ、思潮を捉えていながら、結局は新自由主義の炉壺の中に導入する企みを含んでいる。それを橋下市長自身は知ってか知らずか、煽られて旗振り役を果たすであろう。


 それは、彼に野心の心が大きいからである。信念的行動とは、とても思えない軽さ、乗りが強い。政治的信念などは、本来持ち合わせているか疑問が残る。その時その時の人気政策を選び取るだろうが、それは野心の成就をその目的としている。


 政治思潮の極にはならないだろう。動き、変貌する極など存在しない。国民の生活が第一の小沢一郎が、揺るぎない極だとしたら、その攪乱勢力として存在していると現在は観ている。


 それにしても、元からそうではなく、大阪知事選に登場した勇気と新鮮度は思潮を掴んだ原点だろう。その役割は否定できるものではない。このまま思潮を大きく掴み進展させるか、それとも堕するか、そう時間を必要としないであろう。


 これまでの言行に見る限り、野心先行、器狭量と観ている。


 まあ、いろいろな観方があると考えられるので、推移を見ていく他はあるまい。


 

国家非常事態対策委員会 9/11



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